AirFreedom

週末は欠かさず釣りに行ってます、武者小路です。 海釣りから川釣りまで幅広~くやってます。 平日は日々の日記、週末は釣り日記みたいな感じでいきますんでヨロシク。

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アンパンマン

小さいころ、よく見たアニメの代表格といえばアンパンマンが出てこない人はいないんじゃないんでしょうか。

ウィキ情報

原型作品は、1968年に「PHP」誌に掲載された(大人向けの)読み物。このときは頭部も普通の人間で、ただし空腹の人のところにアンパンを届けるという骨子は同一だった。

1973年、これを発展させたキャラクターとして、あんパンでできた頭部を持つあんぱんまん(初期の作品ではひらがなで表記されており、デザインもやや異なっていた)が「キンダーおはなしえほん」(フレーベル館)10月号に登場した。

子供たちに絶大な人気を誇る国民的キャラクターとなっており、絵本と共に「それいけ!アンパンマン」のタイトルでテレビアニメ化されているほか、アニメーション映画化、漫画化やゲーム化も多い。登場キャラクターが多いのも特徴の一つで、2007年現在、全シリーズを合算すると、1500種類以上(変装も含めると2000種類以上)ものキャラクターが登場していると発表されており、その数は作者でさえも把握できないくらいである。

ちなみに毎回違うゲストキャラが出て来るのは「アンパンマンがばいきんまんを倒す」という図式がどうしても固定してしまう為、マンネリを避ける為に毎回違うゲストキャラクターを出して子供達を楽しませようというアニメ製作側の意向によるものである。

アンパンマンの誕生日は、やなせたかしの誕生日と同じ2月6日であると言われている。これはやなせが子供にアンパンマンの誕生日を聞かれ困ったときに自分の誕生日を言ったことに由来する。またアニメ放送開始日の10月3日が誕生日だとする説もある。ただテレビアニメ版では、やなせ本人が「アンパンマンは架空の存在」と述べていることもあり、あえて誕生日は設定されていない。

また、1990年1月1日から1994年5月29日まで、「読売新聞日曜版」で漫画『とべ!アンパンマン』が連載されていた。





とまぁこんなアンパンマンですが
anpan.jpg

皆さんが知ってる、一般のアンパンマンはこんな感じで、いかにも正義のヒーローって感じですね。









そんな先入観で今回紹介することとなる動画を見ると、泣きますよ?!


えー、今回はR18指定とさせていただきます(笑)
なお心臓の弱い方はご注意をwww


「リアルアンパンマン」




感動した人はコメントしてねwww

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  1. 2007/05/12(土) 22:14:52|
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自衛隊の真髄

どーも武者小路でーす。


来週からテストだよ~、嫌だよ~。


そんなわけで本題「自衛隊の真髄」



うーん、なんていうの、皆は自衛隊に対してどんなイメージを持っているのだろうか?


①強そう
②弱そう
③自衛隊とは軍隊ではなく防御力である
④原爆イェーイ♪
⑤その他



うーん、②を選んだ人は何も分かっちゃいないアルね(④もw)。


日本はGDPの1%枠内を防衛費に当てているが、その費用は世界5位!


単純計算で世界の5強に入ることになる。


まぁ実際は金額だけでは実質的強さと言うものは分からないもので、質-クオリティーがものをいいます。


その質と言うのは装備の質であり、人材の質であります。


特に後者のほうが大切なのではないでしょうかね。いくらいい装備があったとしても、使用者が新米だったら実際の力の半分も発揮できません。


まぁ、日頃の訓練がものを言いますね。その点お隣の国(北○鮮)で慢性的な食糧不足に燃料不足の国は訓練もろくに出来ていませんから弱いでしょうね。未だに第3世代戦闘機(1960~70年代)使ってますし。


まっ、今日皆さんに伝えたいことは↓の動画を見て、自衛隊の凄さを思い知りなさいということですwww

コメントは消して観た方が観やすいですよ。




曲がKOTOKOなのは気にしないwww


続いてこれ










全て自己満足です本当にありがt(ry


うーーーーん、もう痺れるNE!!



これ観てると無性に自衛隊に入りたくなるwww



まっ、これで自衛隊に凄さが少しでも分かってくれたら嬉しいなwww


  1. 2007/05/10(木) 21:20:50|
  2. 日記
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末期症状?

はいどうも、寝溜めが不可能と言うことにようやく気づいたので9時に起きました、武者小路です。


昨日は金曜日でしたね、学校もありました。


まぁいつも通り宿題をやって午前中の日本史、生物、英語、古典を終えました。


ココまでの時間割は何ら普通だったのですが午後の時間割見てびっくり。




数学、数学、英語、数学、数学


えーっと、私たち文系だよね?なんで一日に4時間も数学があるのかな?


もう校長の陰謀としか思えません。


で、その数学の授業なのですが、代ゼミから塾講師が教えに来てくれてるんですよ!しかもその先生がかなーり分かりやすい!


どこぞのファッキン顎割れ教師とは核が違いますねwww


そんなわけで、昨日は数学漬けだったわけですよ。


そして今日見た夢の話、いつも通り意味のわかんない夢を見てたと思います。


その中ではっきりと覚えていること。


先生「では武者小路、この(X+Y)^3を展開すると?」


私「えー、X^3+3X^2Y+3XY^2+Y^3」


板書を続ける教師、それをノートに写す武者小路。














数学解いてる夢見てるーーーー!


と夢の中で思った瞬間目が覚めましたw


もう末期症状だね、怖いね。

  1. 2007/04/14(土) 09:44:42|
  2. 日記
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ビバ☆受験生!

タイトルの「ビバ☆」とか古っ!

えぇどうも死語を日々多用する武者小路です、嘘ですw

最近、私の生活に激的な変化が起こりつつあります。

それは、「勉強」!

ここで断言します!私武者小路は今まで(あまり)勉強してませんでした(暴)。

えぇ、ぶっちゃけしてませんでしたよ、宿題以外はね、たまに宿題すらも忘れるけど…。

実際、学校でまじめに授業受けてたら定期テストや校外模試でもそんなに酷い点数取ることはありませんでした。評定平均4.8ですし(自慢w)

んまぁそんな感じで今までは家で勉強するなんて論外でした、そう、今までは

新学期が始まりましたね(今更)、私もとうとう「受験生」なわけですよ。

何かの間違いとは言え、仮にも6年制コースと言う、所謂「国公進クラス」とかと言う部類と同じようなクラスに属する以上、下手な学校に行くわけにはいかないわけですよ、世間体もそうですし、何より自分がショボイ大学に行くことが許されない!

そういうわけで、今までのように学校から帰ってきてネットで2chやりつつDTXプレイして寝るなんてドリームライフを満喫することは事実上無理になったわけなんですよ。

そんな生活も最近では帰ってきて飯食べて風呂入ってちょっと休憩して22時からは0時までは勉強!そして朝5時におきて7時まで勉強!

何コノ真面目君?って感じです、自分でも自分を疑ってしまいます。

いやーね、ぶっちゃけちゃうと、もうクラスの雰囲気が既に受験直前とまでは言いませんが、かーなーり受験体制なわけですよ、休み時間でさえ空気がピリピリしてるんですよ。

もうね、そんな空間にいると勉強しないことは悪いことだ!とすら思えてくるんですよ、勉強しないことが悪事のように。一種の強迫観念ってやつですかね。

いやまぁ、勉強することが悪だ!とか言ってるようなクラスよりは120%マシなんですけどね、ちょっと不安もあるわけですよ、こんな雰囲気を果たして皆がキープすることが出来るのかなってね。

いやオレはいつもの負けん気で乗り越えられる自信はあるんですけど、いくら特進クラスといえども、下はいますからねぇ、その人たちが保てるかなってね。

別にその人たちがどうなろうと知ったことではないと言ってしまえばそれまでなのですが、仮にも5年間とちょっと一緒に過ごしてきた仲間です。皆で一緒に志望校に受かりたいというのが本音です。



と言うことでネットを嗜む時間がかなーり削減されるわけですよ、なので今までもあまり更新できなかったのに、さらに更新できなくなる可能性が!!!頑張って休日くらいは更新したいなぁ~~。

よし!なんかやる気湧いてきた。受験生のみんな!一緒に頑張ろうぜ!!!
























何この「ビバ☆青春」みたいなノリ!
  1. 2007/04/12(木) 21:17:41|
  2. 日記
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  4. | コメント:2

私とゴールキーパー

私は幼稚園のころからサッカーを習っていました。

川内監督という監督のもとで練習していました。

黄色いマーカーでコートを形どり、赤いコーンを2本立ててゴールと成し、その中で同じ年代の子たちと試合したりして練習していました。

そこでの私のポジションはいつも決まっていました。




ゴールキーパー




時は過ぎ私が小学3年生のとき、保育園の年長さん、小学1,2年生を森山という「超」がついてもいいくらいの田舎で過ごしていた私は、小学3年生から別居していた父のもとで生活するようになりました。

転入した学校の名は市立旭ヶ丘小学校、全校生徒700人前後の学校でした。

その学校には、当然といえば当然なのだがサッカー部がありました。

私が以前通っていた森山東小学校は全校生徒200人くらいの小さな学校でした。

当然部活というものがありませんでした、少なくともサッカー部は。

ですのでサッカーをずっとしたかった私は、旭ヶ丘小学校ですぐにサッカー部に入部しました。

部活生は、30名ほどいたでしょうか、グラウンドをランニングしていた記憶があります。

実はその記憶しかありません。

入部初日、私は勇んで練習に参加しました。

しかし、上級生の態度は悪いわ、練習はまじめにしないわで、もう最悪でした。

そのサッカー部は市でも1,2を争うくらい強かったのですが、私自身、ここにいても強くなれない、そう感じました。

3日後には退部届けを出しにいきました。




サッカーをしたいのにできずに、悶々とした気持ちで過ごしていたある日、来訪者が現れました。

玄関先にいたのは、なんと川内監督でした。

あれから2年、音沙汰もありませんでしたので、正直驚きました。

監督は、ここ大村市で新しいクラブチームを作ったので、是非私にメンバーに加わって欲しいとのことでした。

クラブ名は「キックスFC」

少々迷いましたが、他に行く当てもないので入部しました。

そこでの私のポジションは、もちろんゴールキーパーでした。




発足してすぐのころはメンバーが11人に達していませんでしたので、公式戦に出れませんでした。

弱小チームとはまさにこのことでした。

それでもメンバーを増やしつつ、私が6年生のころには他のチームと真っ当にやり合えるほどになっていました。

先ほどネットで調べてみたところキックスFCのHPが見つかりましたのでリンクしておきます。

HPを見ていただければお分かりいただけるように、ココ最近でキックスFCはいわゆる強豪チームになっていました。

試合のたびに優勝・準優勝を量産して、トーナメントではシード権すら獲得していました。

正直最初は同名の別のチームだと思っていました。

しかし、監督名が「川内 満」、川内監督ご本人でしたので認めざるを得ませんでした。

私はこれを見たとき嬉しかった。

自分のチームが強くなっている、とても嬉しかった。




そんなこんなで時は流れに流れ先日3月13・14日、「球技大会」がありました。

そこで私たちのクラスの男子の一部はサッカーに出場することにしました。

そのなかにもちろん私も含まれています。

しかし、メンバーはおそらく参加チームの中で最弱であったでしょう。

まぁ、ある程度上手い人はいます。しかし所詮烏合の衆、お世辞にも褒められたものではありませんでした。

昼休み、日曜日と私たちは下手なりにも一生懸命練習しました。

そして試合当日、みんな日々の練習成果を見せてやろうと思っていたと思います。

試合開始のホイッスルが鳴り響く、私のポジションは「ゴールキーパー」でした。

自軍ボールで開始した試合、ボールがディフェンスラインまで下げられる、なぜか無駄にボールを回している。

明らかにみな緊張していた。

パス回しの途中、相手にボールを奪われ、センターリングをあげられるが、なんとかディフェンスの一人が体で防ぎ、敵コーナーキックへ。

私はその日、ゴールキーパーの相棒ともいえるキーパーグローブ(キーテブ)を装着していました。

(あいつキーテブ付けてるよwww)(マジうざくない?)(どうせ下手いんだろ)

敵はあからさまに私に聞こえるようにそんな会話をしだしました。

(ふん、言ってろ)

とりあえず、私はコーナーキックに集中するようにしました。

(プレイで、魅せてやればいいんだ)

敵がコーナーキックを上げてくる、見事な放物線、流石はサッカー部。

それは、まるで敵の頭に吸いつけられるかのように飛んでいきました。

敵のヘディングがボールをジャストミートで捉える。

刹那、そのボールはみるみるゴールネットに突き刺さろうとしていました。

上部ゴールポストの10cm下を飛翔するボール、素人なら、まず反応が遅れる位置・スピードでした。

(オレは、素人じゃねぇ!なめるな!)

負けたくない、その気持ちだけが私を動かしていました。

そして長年の経験から培われた勘で、私は両の手ですかさずボールを弾きました。

私の両の手で弾かれたボールは、上部ゴールポストの上を、枠を外れていきました。

沸き起こる味方の観客の歓声。

(あいつ、上手いぞ…)

相手から聞こえてくる動揺の声。

(よしっ!)

私は心の中で小さな達成感を覚えました。

しかし、相手はサッカー部4人を有し、そのうち2人は県選抜選手、かたや私のチームは経験者6人、それも小学校のころという、なんともお粗末なチームでした。

サッカーはチームプレイです。11人のうち1人でも下手なやつがいたら、そこから突き崩されます。

私たちのチームは穴だらけでした。すぐに裏をとられセンターリング、それの繰り返しでした。

いくら上手い選手でも、何度も何度もシュートを打たれていては、いつかは決められて今います。かの守護神・川口でもそうでしょう。

私もとうとう1点許してしまいました。

それはセンターリングをボレーシュートで合わせて放たれた、高速シュートでした。

まったく反応できませんでした。顔をボールのほうに向けたときは既にゴールネットに突き刺さった後でした。

(ああ、これがサッカー部の力か)

正直無理だと思いました、あんなシュート止めれない、と。

それでも味方が1点決めてくれて、前半終了。

これで1-1の同点。

少しは勝機があるかな?そう思いました。

しかし現実は甘くありませんでした。

敵ボールから後半戦がスタート。

敵の動きがまるで違った。

1点決められたことに焦ったのか、前半戦以上に動きが機敏になっていました。

敵のシュートの頻度も上がり、私は次々と点を許してしまいました。

最終結果1-4

惨敗というべきなのか敢闘というべきなのか、分かりませんが、私は、頑張った。

総シュート数15本以上、コーナーキック・センターリング20本以上、僅か30分足らずでここまで打たれて、4失点に抑れたことは、正直自分を褒めてやりたかった。

みんな褒めてくれた、嬉しかった、けど顔には出さなかった、当たり前だ。

試合終了後、相手チーム選手から意外な言葉を聞いた。




「お前上手いね、サッカー部に入ればよかったのに」




私は、その時、思った。そういう選択肢もあったのだと。

私は高校に入学したとき、諦めていた。

我が校のサッカー部はインターハイに出場するほどに強かった。

だから、中学校のころサッカーをしていなかった自分には無理だと。

今更ながら、馬鹿なことをしたなと、思った。




二日目の試合は、最悪だった。昨日からの疲れのせいか、みんな動けていなかった。加えて、敵が殆ど手加減してくれなかった。そのチームはサッカー部を6,7人有していた。

結果は0-6

まさに惨敗である。シュートコースががら空きなため、昨日に増して正確なシュートが放たれ、流石に止め切れなかった。

試合終了後、木陰で下を向いてうな垂れていた私の前に誰かが立っていた。

靴に書いてある名前をちらりと見てみる、知らない名前。

顔を上げてみると、一人の男が、私に手を差し伸べて、立っていた。

私は握手を求められていた。

ゆっくりと手を上げて、相手と握手する。

「上手いね」

その男は、私が味方に徹底マークを要求した、背番号4の男だった。

彼は素晴らしいシュートを何本も放ち、私とゴールを脅かした。

結局、何点彼に決められたかは知らないけど、彼は、私にお褒めの言葉をくれた。

嬉しかった。

まず人からそのような状況下で握手を求められたことが無かった。

加えて「上手いね」の一言。

嬉しくならない人間がいるのだろうか?

自分より上手い選手に認められる、とても嬉しかった。




ゴールキーパーをしていて、よかった。




ゴールキーパーは、とても精神力のいるポジションです。

いつシュートを打たれるか分からない、そんな状況下で冷静に戦況を把握し分析し、相手のシュートコースを読む。

体力的にはそこまで疲れませんが、精神的にはそうとうきます。

怒ったりして集中力を切らしたら少しまずいです。

そういう時は心を落ち着かせないと、相手のシュートコースが読めません。




私は自分がゴールキーパーであることに誇りを持っています。

自軍最後の砦を任された守護神、自分が負けると試合は負ける。

そんなゴールキーパーのポジションに誇りを持っています。

願わくば、第2の人生があるとするならば、ゴールキーパーの道を歩みたいと思う。

  1. 2007/03/17(土) 00:54:21|
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